まほろばに神鹿を追って

Chasser le cerf de Dieu à Nara

水たぎる 瀧のみやこ ~丹生川上神社中社 吉野宮瀧遺跡~


5月4日みどりの日
県道37号桜井吉野線を南下し、
南に背山と北に万古斧鉞の妹山樹叢を
隔てる吉野川に到着。
南都吉野の名高き妹背山です。
裏道である桜井吉野線を使えば
奈良市街から1時間で吉野に着けます。
早朝でもあり、渋滞知らずです。



宮瀧遺跡がお目当てですが、
早く着きすぎたので寄り道。
おっと、道を間違え、
川上村まで行ってしまいました。



東吉野村丹生川上神社中社へ。
本殿向かって右の丹生の真名井。
水の神様の恵みの水をいただけます。

丹生川上神社吉野山地に三社。
3年前に訪れたのは下社でした。
7年前に訪れたのは上社でした。


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おいしいご神水でしたが、
私と息子は帰宅後に下痢しました。
主人ひとり、神に愛でられたか、
免疫力が高いのか、息災でした。

そういえば主人は5月1日に
3回目のワクチンを接種しましたが、
相変わらず痛くも痒くもなかったそうで。
私は2月に3回目ワクチン接種済なので
4回目の接種が職場で計画されています。

こうして少しずつ、人類は疫病に
適応していくのでしょうか。



夢淵(ゆめぶち)。
吉野川の支流の高見川に
日裏川と四郷川が合流する淵で、
もともと水の祭祀場「斎淵(いみぶち)」が
訛って夢淵と呼ばれるようになったと。
『The Emerald Forest』って映画、
思い出してしまいました。



息子5歳、この美しいせせらぎに
到達する直前、蜂に刺されたのです。
息子、半狂乱で泣き叫び、
最寄の文化施設で応急処置後、
帰路につかざるを得なくなったのです。
「あんな取り乱したこと、ない」と息子。
私も、穏やかな息子を育てて11年、
あれが唯一の発狂ぶりとしみじみ。



「龍のお母さんて3人いてて、
ここのお母さんがいっちばん怖くて
いっちばん綺麗」と息子。
「上社のお母さんはどんな方?」と私。
「背が高くてめちゃくちゃ優しい」
「下社のお母さんは?」
「かわいい、モテモテ」
雨男の息子、想像とはいえ
丹生川上神社三社の特徴を
よく捉えています。



蟻通橋から中社の杜を眺め。
この高見川の夢淵で、
神武天皇が鮎占(あゆうら)をした。
魚で吉凶を問うのは、
吉野の国栖の天武天皇
片身のウグイの言い伝えでも。
今更ながら、
神武天皇天武天皇は似ている。
感慨無量となりました。



「今日は蜂に遭いませんでした。
龍のお母さん、
ありがとうございました」



「ここに来るの、実は怖かった。
でももう大丈夫」と息子。
あんたAvengerだったのね。
良かったね、
苦手が一つ解消されて。



途中、天誅義士の墓に黙祷し、
吉野川を下って、
紙漉きの里の国栖を越え、宮瀧へ。
吉野歴史資料館で先ず地場固め。



象山が目の前、素晴らしい立地!
宮瀧、なんていいところなのか。
さすが吉野宮が構えられた地です。



職員さんもとても親切で、
資料もたくさんいただけました。
令和4年吉野歴史資料館特別陳列は
壬申の乱1350年記念「いかにして、
壬申の乱は語られてきたか」。

史料がたくさん掲示されていて、
それでも私が思うのは、
「勝者が歴史を語るのは、
何か間違ってやしないか」
の悶々たるもの。

天武天皇ははっきり言って、
壬申の乱になってようやく
歴史の表舞台へ躍り出てきた人物。
しかし、
実際に壬申の乱で活躍したのは
その息子の高市皇子

虎に翼をつけて放てり。
私には天武天皇
虎というより、鵺(ぬえ)。

天武と持統、古代、
二人の天皇が合葬された唯一の例。
ものすさまじい決意を放つ埋葬。
夫唱婦随など、無縁の。

天武は、持統ではないのか?
壬申の乱の発起人は、持統では?
虎とは、持統そのひとでは?

ああ、あかんあかん。
私の妄想、
寝た子を起こしてはいけない。



かわづ鳴く吉野の川の瀧の上の馬酔木の花そ末に置くなゆめ

川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花會 置末勿動
作者不詳『万葉集』巻10-1868



吉野歴史資料館の前庭、
上野誠先生揮毫の万葉歌碑。
この歌をこの地に選ぶあたり、
上野先生の吉野への傾倒ぶりが
推し量れます。



焼き杉板が木工業の町、
吉野を掲揚しています。
資料館、貸し切りでした、
ありがたく、贅沢な限り。



さて、宮瀧遺跡へ。
70回以上にも及ぶ考古学調査が
行われた重要な遺跡。
縄文時代からすでに
ここでは社会が拓かれていて、
応神天皇雄略天皇年代記にも
「吉野宮」と記されているのは
伊達ではないのです。



蘇我氏の残党と共に
この吉野宮で持統天皇
幼少期を過ごしていたとしたら、
あの頻回の吉野行幸
一片の疑問もない「帰陣」であり、
この地が壬申の乱の揺籃に
選ばれたのも全くの異論なし、です。



吉野川のせせらぎ。
陽光の満ち引き、瀬を飾る奇岩、
水の色を紺碧から蜉蝣の翅の色まで
面差しを変えて移ろいます。




陽ざしはもう春を追いやり、
私は色が白く皮膚が薄いため、
熱中症の手前の眩暈がしました。

眩暈がしたのは、もうひとつ。
この極めて美しい渓流に
気が呑まれそうだったから。
上流にダムがいくつもできたため
吉野川はおとなしくなりましたが、
もともとは暴れ川。
古代はどれほどの勢いだったか。

それこそ神龍が雷鳴を引き連れ
山を切り裂くように谷という谷を
蹂躙して大海原を目指したのでは。

それを、櫛風沐雨、
嵐に竦むことなく屹立し、
睨めつけていたのではないか、
持統天皇は。

提督、アドミラル、
ペルシア語でマルズバーン。

強い。

そんなふうに生まれついた女、
強くないわけがない。



「ママ見て! 
こんな青い色のシーグラス、
初めて!」



こ、これは! 
Heart of Ocean!
蒼き海の心!
タイタニック』の観過ぎ!


A woman's heart is a deep ocean of secrets.
女の心は、秘めたる深き海。


持統天皇は、
私が思うに古代史最大の人物です。
これほど己を抑制した王者もない。



宮瀧の青空を泳ぐ鯉幟。
とても大きな立派なもので、
山雅にふさわしい威厳。



「ママ見て! 金太郎!」
「うわー! おめでたい!」


八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟<競> 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高<思良>珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可<問>

やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも
柿本人麻呂万葉集』巻1-36