4月2日の午前の続き。
おなかいっぱい、
午後の自転車旅、開始。
明日香村稲渕、
義淵僧正開祖の五龍寺のひとつ、
龍福寺。
ものすごい傾斜の門前。
こちらは見学自由のお寺です。
日本最古の在銘石塔で有名。
銘の主は竹野王、
長屋王の近親者とされる女性皇族。
掃き清められた境内。
高台から眺める飛鳥の風景は格別。
墓前の供え花が生き生きとして、
信心されているお寺とわかります。
この写真、私のお気に入り。
肩を並べて語る父子。
ちょっとのことが嬉しい。
関西大学 飛鳥文化研究所。
セミナーハウスだそう。
こんな最高の場所で
飛鳥の文化を研究できるだなんて、
うらやましい。
そういえば、ちょうど50年前、
高松塚古墳の壁画を発見したのは
関西大学でした。
ここから飛鳥川沿いに南下する道、
桜井明日香吉野線、
一挙に空気が変わります。
せせらぎ、羽虫、木漏れ日、
煌めく鱗粉のようなさまざまな光が
視界一面を舞い、息を吞みました。
「しんぴてき」
主人を先頭に、私をしんがりに、
まんなかで自転車を漕ぐ息子が
たまらずこぼした言葉です。
あまりにも美しいものを
目の当たりにすると、
何もできなくなります。
写真を撮る余裕もなく、
ただ美しさに囚われるがまま。
それで良いのです。
もう二度と見れないかもしれない光景。
それでもいい。
飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社。
あすかかわかみにます
うすたきひめのみことじんじゃ。
名前と同じくらい長い石段で有名な、
水の女神の社です。
赤ん坊に等しいほど幼いころ、
ここへ参った覚えがあります。
いろいろ怖くて登れなかったはず。
私の目には垂直に見える石段。
男ども、私を残して、
さっさと登って、
こんのやろーども、です。
「ママ、山姥やのに、高所恐怖症」
息子よ、母は、高さだけに
恐れ戦いているわけではないのだよ。
皇極天皇は
即位した年に大旱魃に見舞われ、
この社に面した飛鳥川で祈雨に努め、
結果、大雨を降らせたそうな。
人生一貫して
Performerだった女帝。
雨師、雨乞い師、
君子がRainmakerの御職を張る、
卑弥呼の昔に逆行するような。
人間などに天候は操れない。
女帝は雨が降るまで
祈りをやめなかっただけだ。
それに気づいていたのは
女帝のふたりの息子以外に、
祖母とは真反対のリアリスト、
吉野に本拠をおく蘇我宗家の
家督を継いだ孫娘、
鸕野讚良皇女。
祖母がこの社で祈雨に努めたとき、
孫娘はまだ生まれていない。
女帝は、もろもろの意味で、
自らの領分に、
龍を招き入れたのかもしれない。
決して、本意ではなく。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。
奥飛鳥、栢森(かやのもり)。
男綱と対をなす女綱。
祈りの杜を抜けたここらは、
うららかに拓けています。
桜と綾なす、女神の首飾り。
きれい。うっとりします。
息子の右に福石。
この石も綱同様、陰物だそう。
なんでもいいや、
ほのぼのと美しいからもう。
加夜奈留美命神社。
かやなるみのみことじんじゃ。
ここは初めての訪問です。
シロハナニホンタンポポ。
日本の在来種です。感激。
石段、ちらほらと菫が咲き。
なんてかわいらしい社なのか。
拝殿の扁額がすごい。
木の皮でしょうか。
何の木なんだろう。
奥飛鳥を訪ねて、
本日の目的地、ごろ滝。
ここまで来ると吉野も遠くない。
壬申の乱の折、
大海人皇子一行が走り抜けた道。
鸕野讚良皇女にしてみれば、
我が陣地に戻っただけなのか。
吉野に近くなればなるほど、
持統天皇の存在感が増していく。
目標達成!
息子、大満足の御尊顔。
三時のおやつ、
「奥明日香さらら」さんへ。
掘り炬燵の和室でまったり。
あんまりまったりしすぎて、
おやつの柚子ケーキと紅茶など、
写真に撮り忘れ。
「椎茸、好き? 食べはる?」
さららさんの女将さん、
自家製のふくふく肥えた椎茸を
新聞紙に包んでくださいました。
「オーベルジュされてるんですね」
と私が言うと、
「オーベルジュて!
何言うてはんの!
そんなええもんちがうよ!」
と女将さん大否定。
「え、でも、オーベルジュて
紹介してある……」と私、もごもご。
さららさんの玄関に貼られた
「火野出没注意」のステッカー。
それから話に花が咲き、
つい最近NHKBSの名番組
『にっぽん縦断こころ旅』で
火野正平さんが来られたことを
教えていただき、
他言できない打ち明け話も
たくさん話していただきました。
「正平さん、かっこいいですね」
「正平さんてあんた
知り合いみたいに言うて!」
女将さん大笑い。
一見シュッとした女性なのですが、
女将さんの中身は愉快千万。
笑い話ばかりした挙句、
「とんでもない嫁さん、もろたね」
と女将さんに言われた主人、
苦笑いして頷く。
「民宿はコロナと一緒に開店して、
開店休業やったの。
でも常連さんから急かされて、
ぼちぼち再開したの」
「へえ、次はこちらに
泊まらせてもらおうかな」
「今日はどこまで行ったん?」
「石舞台から、ごろ滝まで」
「よう行かはったね。
あそこは昔、郷の人みんなで
水行もしてて、水の量もすごかった。
今は流木が多なってアカンのよ」
「水行されてるんですね」
「水の神様の郷やからね」
「うすたきひめ神社の手前から、
飛鳥川の空気が変わって」
「そうやろ、皆さんそう言わはる」
「うちの息子も、神秘的、って」
「ああ、わかるんやね」
奥飛鳥から平地の飛鳥へ。
まだ時間があるので、亀石へ。
なんでこんな囲いもなく
自由におかれているのか、
飛鳥の石造物群。
亀石がなんだか小さく見える。
息子、まじでデカくなった。
飛鳥資料館でレプリカの亀石に
もたれかかっていた8歳の息子を
思い出してしまいました。
「ぼん、邪魔」と亀石。
「二上山のほう、
向いたらあかんで」と息子。
亀石が二上山へ向くと盆地は水没する。
飛鳥の氏族と当麻の氏族、
仲が悪かったのでしょうね。
「おら、やりました!」
天武と持統の檜隈大内陵へ、
息子、報告。
ついでに鬼の俎へ。
私、よちよち歩きのころに
訪れて以来。
『鬼滅の刃』の一刀石と
勘違いしている息子。
子どものころは、
真剣に飛鳥に鬼がいると
思っていましたよ、私。
お向かいの鬼の雪隠へ。
ここらは車でも徒歩でも
訪れにくいエリアなので、
自転車が最適です。
まだ勘違いしている息子。
しかしこの暴かれた石棺、
見せしめとしか言いようがない。
この道、どこだったのか。
高松塚古墳から石舞台目指して
Googleの言いなりで進んだ道。
平地の飛鳥で最も美しい道でした。
橘寺が見えてきました。
なんだかとても懐かしい。
橘寺の正門の桜。
「今日は楽しかった?」
と問われているとして、
「ええ、もう、最高でした」
と答えるしかない私。
奥飛鳥、
大切な人と訪れるべき場所。
こんなにも近いのに、
あんなにも遠い世界へ
つれていかれた。
それは神秘的。