奈良大学通信まよい鹿

奈良大学通信教育部に入学しました

夏と悲運 

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奈良大学は、保守とも呼べそうなほど
きちんとした教育機関です。

4月10日に予定されていた令和館講座、
日本古代史専門の渡辺晃宏先生の講義
「地下の正倉院-平城宮跡とその時代-」を
拝聴しに行こうとしていたのですが、
開演前日に電話で中止を連絡されました。
理由は、もちろんコロナ禍の襲来。
ああ賢明な判断、英断だと肯んじました。


私は一応、10月に復学の予定ですが、
それでも向こう1年、現地スクーリング、
無理だと、無謀だと、静観しています。
もし現地スクーリングが行われる、
それなら私は不参加を決めています。

ワクチンが万能と思い込んでいるような
参加者と、同席したくないからです。

人間の免疫は、
短期間で操作できるものではありません。

再び勉強しようと自己研鑽を惜しまない、
そんな見識の深い方たちは、
中学生でもわかる基礎疫学を看過しない。

そう願う、私が愚かなのかもしれません。


現地スクーリングと並行して、
Webスクーリングを考慮すべき。

私は40代ですが、60代以上で
8割も占める奈良大学通信の生徒、
時間がいつまでもあるわけではない。
先送りで現地スクーリングを待つ、
それが最善とも思えないのです。

奈良で遊ぶために奈良大学通信に入った。
そもそもそれが大間違い。
奈良で学ぶために奈良大学通信に入った。
それならどんな形でも、策はある。

それでもこの夏は、悲運の夏です。



とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。

思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑をかしいといふのぢやない、
起立して、先生の後あとから歌ふ生徒等が可笑しいといふのでもない、
それどころか、俺は大体、此の世に笑ふべきものがあらうとは思つちやゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。
俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
それにしてもだ、先生がカン/\になつてたことは事実だし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬらしいことも事実だし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。

大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と遊離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、
理想派でも虚無派でもあるわけではない。
孤高を以て任ずるなどといふのぢや尚更ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。

どうして笑はざゐられぬか、実以て俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。


『夏と悲運』 中原中也
(一九三七・七・一二)