奈良大学通信まよい鹿

奈良大学通信教育部に入学しました

『インディアン・キャンプ』ヘミングウェイの神話 ~文化人類学②~

文化人類学のテキスト、
4月から変更の予定です。
どんな教科書になるのでしょう、
楽しみです。

興味深いブログ記事に触発されて、
久しぶりにヘミングウェイ
『インディアン・キャンプ』を
読み直してみました。
邦訳にして10ページにも満たない
短編ですが、傑作中の傑作です。


『Indian Camp』あらすじ
主人公のニックが医者である父と
叔父のジョージと釣り目当てに
湖でキャンプを楽しんでいたが、
原住民(小説ではインディアンと称す)
の妊婦が産褥で3日も苦しんでいると
知らせを受け、その村を訪れる。
父はジャックナイフと釣りの糸と針で
妊婦へ帝王切開を施し、
そこへ息子のニックに立ち会わせる。
母親と子どもは無事だったが、
しかし、なぜか、
インディアンの父親は
のどを裂いて自殺していた。
ニックは「自分は決して死なない」と
感慨を擁いた。


インディアンの父親は
なぜ自殺したのか。
これがヘミングウェイが残した、
澄み渡った謎。

ジョージ叔父が
インディアンの母親と通じていて
その子どもの実の父だった、
そういう説もありますが、
私はそんなメロドラマを
ヘミングウェイが書くわけない
と初見から思っていました。

だからといって、
確たる結論も見当たらず、それは
初見の前世紀から意識に沈殿する
謎であり続けていました。


関真彦さんの論文
『境界に立つジョージおじ
「インディアン・キャンプ」における
二つの家族』は、
ジョージ叔父に焦点を当てた点で、
私が納得できる内容ではないのですが、
その内容の一文、
"Incest saves the family from marriage"
(Michaels 42) から、
ああ、ヘミングウェイ
文化人類学に詳しい人だったと
思い出すことができたのです。


そこで見つけた高野泰志さんの論文
『麻酔の認識論
「インディアン・キャンプ」をめぐる
帝国の欲望』は、私の積年の謎を
解決へ一歩進めたのです。

ニックの父は、
そこになかったとはいえ、
インディアンの妊婦に
麻酔なしで開腹手術を行ったのです。
なぜなら、1920年代のその時期、
原住民たちは痛みに強いと見なされ、
麻酔は文明人に用いるものと
認識されていたので。

そして、
原住民は自他の境界を曖昧にして
自然を受け入れるため、
インディアンの父親は
妻と同じように産褥を味わう
擬娩のさなかに、
ジャックナイフで腹を切り裂かれる
空前絶後の痛みゆえに
自殺した、と。

ニックがこぼした言葉
「自分は決して死なない」は、
インディアンの父親が
自然崇拝の擬娩のはてに
苦痛を自殺で終わらせた姿に、
妻の苦痛を解放させる意味も含み、
インディアンの父親が
自然に循環されたと捉えた証、
「自分『も』決して死なない」とも
考えられる、と。

私は、この高野先生の説に、
甚く感銘を享けたのです。


ああ、我らがヘミングウェイ
その簡素極まりない文体から
浅く見られがちですが、
その詩のような文体はまさに
詩そのもので、
ゲーテが『詩と真実』を物したように、
謎は、詩は、つまり真実は、
はるか深海にまで落ち込み、
密やかに、ただ煌めいているのです。


ヘミングウェイの神話。
アメリカの文化人類学です、
ヘミングウェイの想いの数々は。


インディアンキャンプ  「ニック・アダムズ物語」より