奈良大学通信まよい鹿

奈良大学通信教育部に入学しました

妄想地図 ~言語伝承論③~

もう35年以上前の作品ですが
松本清張氏の小説『迷走地図』、
内容はさておき、
子ども心に「なんてすてきな題名」と
感心していました。

私が描く地図、迷走ではなく、
妄想の賜物というか産物。
奈良大学通信では言語伝承論に
当て嵌めて、脳内で時間旅行へ。


King of Kings 妄想のなかの妄想、
それは、天智天皇のふたりの妃。
ひとりは、古人大兄皇子の娘、倭姫王。
もうひとりは、蘇我倉山田石川麻呂の娘、
遠智娘、持統天皇の生母です。
私は、上記二組の父娘は、
同一人物だと思っています。

「え、瓊花さん、
以前、額田王と倭姫王が同一人物って
言ってましたよね?」
との疑問の声があがって当然。
それに妄想側から答えますと、
額田王は代弁者であった、となります。
額田王について、今はここまで。

近江大津宮から少し離れて、
妄想地図の舞台は、大和の吉野。
奈良県吉野郡大淀町は、
たいへん興味深い文化財調査を
行っています。
詳細は大淀町のホームページを
ご参照のほど。

4年前に開催された
平成28年大淀町地域遺産シンポジウム
『吉野宮の原像を探る』の演題のひとつ、
大淀町教育委員会学芸員
松田度(わたる)先生
(森浩一先生直系のお弟子さん)の講演
『僧形の皇子たちーいざ、吉野へー』が、
私のモノクロだった妄想地図を、
孔雀石・辰砂・鉛丹・ラピスラズリ胡粉
岩絵の具で多彩に塗り替えました。

最古の山寺といわれる
大淀町の比曽寺。吉野寺、とも。
ここを吉野宮として、
古人大兄皇子を中心とした
蘇我氏の手勢が駐屯していた。
蘇我宗家は、入鹿と蝦夷が弊えられた後、
石川麻呂に襲名される。
蘇我氏はなんだかんだと乙巳の変を境に、
勢力版図を南下せざるを得なかった。
古人大兄皇子と石川麻呂が殺された後、
その吉野の山寺を継いだは、
鸕野讚良皇女、のちの持統天皇、そのひと。

おもしろいでしょう。
続きは、
『吉野宮の原像を探る』の資料が
ネットに開示されていますので、どうぞ。

ちなみに、古人大兄皇子と石川麻呂が
同一人物という説は、私の妄想です。
大海人皇子と古人大兄皇子が
同一人物の説はpopularですが、
それでは娘ふたりが片づかない、のです。

比曽寺の「曽」の字は、
蘇我氏の「蘇」の字でもあるそうな。
では「比」は「妣」ではないでしょうか。
妣は「はは」と読み、
妣国(ははのくに)から亡き母、
先祖としての大いなる母、を意味します。
「妣蘇寺」とは、私の妄想ではありますが。
吉野川北岸の世尊寺
すなわち比曽寺跡を見る目が変わりました。

吉野と蘇我氏の結びつき、
松田先生の説、独自の新鮮さと共に、
不自然な解釈のない(ここが妄想と異なる)、
つまり優れたものだと思います。


いやまあしかし、
むかしむかし10歳前後、
鸕野讚良皇女のその鹿爪らしい名前を
私が初めて知ったとき、
「なんでこのヒメミコだけ、
こんなエラソウな特別な名前なんだろう」
と訝しく思ったものです。
いや、本当に、このヒメミコは、
日本古代史における特別な存在なのだと、
改めて気取らされました。

僧形の皇子たちの影に、
神功皇后めいた『姫辺境伯』がいたのだと。

Lady Admiral !
持統天皇は私の妄想地図の主役です。


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吉野山中千本にある
葛菓子カフェの「TSUJIMURA」さん。
びっくりするほどおしゃれなお店。
でも、温かいご亭主のお人柄、
やっぱりここは懐深い吉野なのです。