奈良大学通信まよい鹿

奈良大学通信教育部に入学しました

額田王 誰のものにもならない女 ~平安文学論①~

先月末発布のスクーリング中止の文書を
端から端まで読んでみたところ、
平安文学論と文化人類学のテキストは
2021年4月まで使用されるとのこと。
あー、良かった、
双方ボツにならずに済みました。
とくに平安文学論のテキスト。
私にはとても面白く読めたので。

はしょり過ぎですが、
平安時代の婚姻制度、
男も女も生家の実力如何、です。
氏素性の分け隔ては容赦なしですが、
反面、男女差別は酷くなかったような。
男尊女卑が威力を増したのは、
武士の時代になってから、でしょうか。

源氏物語』も『蜻蛉日記』も
「女が生きるためには
男について考えないといけない」という、
もしかしたら今もなお連綿と続く
「ああ、めんどくさ」な
実情なのかもしれません。


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その「めんどくさ」な実情から
解放されている女もいました。
飛鳥時代の女ですが、額田王です。
上記、大和和紀さんの漫画
『天の果て地の限り』の一幕。
私が人生お初で知った、額田王です。
言わずもがな額田王は、
古代日本のスーパーヒロインです。
数多の著作物で扱われていますが、
私にとっての額田王
この瑞々しい作品で描かれた
「誰のものにもならない女」、
それに尽きるのです。
のちの天武天皇大海人皇子
ノローグがすばらしい。

心はだれのものでもない。
そのために命を賭するつもりか。
おまえはこうして近くにありながら
手にふれることのできぬ心を持っている。
この世のだれに対しても。
この世のだれに対しても、そうなのだ。
その誇りをこそ、好きになった。

額田王は実際、何者かよくわかりません。
天智と天武、
日本史に輝く二巨頭の天皇
傍近くに在れと乞われた女なのですが。
私は、額田王は、
舒明天皇の娘だと思っています。
それでもって、天智の皇后の倭姫と
同一人物だとも、思っています。
妄想はさておき。

歌は、神に捧げるもの。
歌詠みは、神に仕えるもの。
これが許された女は、
すでに選ばれた女。
だから、誰のものにもならない、
誰のものでもない。

額田王は、
自身が有力者だったのでしょう。
自分で自分を養えた、これは強い。
平安時代に移っても、八条院を筆頭に
荘園管理などで私服を肥やせた女は、
強い強い。

つまり、男女問わず、
なぜ「色恋の相手のことを考えて」
生きていかなければならないのか。
それは、
色恋とは結婚の入り口であり、
結婚とは生活であり、
生活とは生きることであり、
生きるとは心証晒せば
経済に裏打ちされたものだから。
経済の輪からは、誰も逃れられません。

平安文学論。
日本で女が歴史の表舞台に立てたのは、
ここまで。
鎌倉時代の尼将軍、北条政子
あれはほとんど「漢(おとこ)」です。
女の時代、さようなら。

腕力に屈するの、いややな。
せめて心は、誰にもゆずらへん。

まほろば倭の飛鳥時代
三輪山のふもとを逍遥する巫女、
その狷介孤高な後ろ姿を偲んで
私が自由気ままに想うこと、です。