奈良大学通信まよい鹿

奈良大学通信教育部に入学しました

みずからに忠実に 宇治の若き王

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4月6日
京都は宇治に遊びました。
宇治までは、
我が家からは車で1時間もかかりません。
とても身近な「京都」なのです。


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宇治の町並みは、
いたるところお茶の香りが漂います。
平等院の門前なんて、
緑の芳香、馥郁たるもの。


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いや、やはり観光地。
人が多い多い。
奈良に近くとも宇治はやはり京都です。

しかし、平等院
お寺という感じは、正直、しません。

眺めることを軸として、
人が立ち入るようには
作られていない平等院は、
きれいきれいに作られた雛壇のような、
藤原摂関家の「離宮」でしかない。

奈良とは随分ちがう。
距離はそんなに離れていないのに。
私は宇治に来るといつも、
京都の文化の繁殖力に圧倒されます。

総じて美に重きがおかれている。
それが採るべき道だったのか、と。

私は平等院の裏手、
源頼政の墓を見つけ、
やっと祈る気持ちになれました。
死を覚悟して
甲冑を身に着けずに
宇治川の戦いに挑んだ77歳の名将が、
私にはとてもなつかしい
慕わしい存在なのです。


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宇治川では
お花見の縁日が催されていました。
宇治川はとても豊かな河川です。
勢い流れる力強さ。
源氏物語』の宇治十帖の舞台ゆえ、
なんだか「もののあはれ」っぽい
印象がついていますが、
宇治は古来より戦場にあり、
「まつりごと」の拠点でもありました。


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宇治に来ると必ずお参りするのが
宇治上神社です。
祭神は、応神天皇仁徳天皇と、
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)です。

応神天皇仁徳天皇の合祀は、
無礼千万は承知で、
まあ、お愛想、でしょう。

この宇治の地は、
宇治の若き王という名の、
菟道稚郎子のものでした。

この宇治上神社も対の宇治神社も、
ただ宇治の若き王ひとり、
その自死せざるを得なかった
宇治の真の王者のたましいひとつ、
慰撫する社にちがいないのです。


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本殿。
平安時代後期の造営で、
神社建築としては最古の現存。
粛々とした心地になります。

菟道稚郎子自死の方法は
よくわからないのですが、
宇治川に関わる方法で
亡くなった気がします。

追い詰められて亡くなった、
というより、
みずからすすんで此の世に
別れを告げた、そんな気もします。

宇治の王者は
武者であるより学者でありました。
もうひとりの兄、
大山守を宇治川に入水せしめて
殺した様子は、
聡い宇治の王者には自身の未来の姿に
見えたのではないでしょうか。

大山守へ対する菟道稚郎子の挽歌は、
異様なほど、哀切に満ちています。

  千早人 宇治の済に 渡代に
  立てる 梓弓真弓
  い伐らむと 心は思へど
  い獲らむと 心は思へど
  本方は 君を思ひ出
  末方は 妹を思ひ出
  楚なけく 其処に思ひ
  悲しけく 此処に思ひ 
  い伐らずそ来る
  梓弓真弓

恣意ですが、
大山守と菟道稚郎子は同一人物だと
私は思っています。
もしくは、志を同じくした兄弟だと。

海の都、難波(なにわ)を本拠地とする
大鷦鷯(おおさざき)王子すなわち
のちの仁徳天皇の標的は、
あくまでも宇治の若き王、ただひとり。

父はなぜ私を愛したのだろう。
私の人生はままならないものだった。
せめて命は自分で終えたい。
そう決めて末の弟は
死んでいったのではないでしょうか。
長兄、難波の覇王に殺される前に。

梓弓真弓の挽歌は
もしかしたら、
難波の王が宇治の若き王へ
詠み散らしたものかもしれません。

兄は、父よりも、深く、強く、
弟を惜しんでいたのかもしれません。

古事記』に刻まれた
宇治の若き王の歌は、
ひとの心の悲しさと優しさが
万古不易のものだと
とこしえに指針するものです。

緑に薫るような人間性
そんな歌を詠んだ者と見なされる、
宇治の若き王はそういった
人となりだったことの、あかしです。


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晴天に桜、とても美しかった。
どうかこの桜を手向け花に、
宇治の若き王のたましいが
安らぎますように。


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私は敗者ばかり
追いかけている気がします。
敗れた者にしか、
真実は掌握されないから、でしょうか。

菟道稚郎子の同腹の妹は、
曽爾で青春の命を懸けた、あの
女鳥王(めどりのみこ)です。
なんとすさまじく
みずからに忠実な兄と妹なのでしょう。

ふたりとも、私の心の友、です。


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宇治では必ず
永暦元年(西暦1160年)から
宇治川のたもとで茶屋を営んでいる
「通圓」で茶団子を買います。
ここの茶団子、あまり甘くなくて、
抹茶が濃くて、20本買っても
すぐなくなります。

私も息子も抹茶に限らずお茶が大好き。
主人もここの茶団子だけは
ぱくぱく食べます。
定番中の定番は、
「?」と訝るものも多いのですが、
ここの茶団子は名に劣らぬ美味しさです。

しかし、
こわくなるね、宇治川
ものすごい水の量と
うねるような急流。

宇治、
記紀の古戦場のみならず、
軍記『平家物語』の舞台。

宇治の若き王、
また訪ねてまいります、
どうか待っていてくださいね。

てのひらの浄土 飛鳥資料館

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3月31日、飛鳥資料館へ。
ここは山田寺跡の近くにあります。
この施設の中へ入るのは初めて。
道をはさんで向かい側に
葛専門店の天極堂。穴場です。


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明日香村に点在する史跡のレプリカが
ここに集結しています。
ここへ来れば飛鳥の考古資料、
美術資料が気軽に一望できるので、
なんというか、けっこうお値打ち。
このとおり、
亀石にも、堂々と凭れられます。


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いろいろすばらしかったのですが、
意外にもいちばん目を奪われたのが、
入り口前のこのロッカー。


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何気に、息子とふたり、
飛鳥資料館オリジナルの塗り絵を勤しむと、
山田寺出土の銅板五尊像の
実物大のカードをいただけました。
これは、じわじわと歓喜がこみ上げました。

7世紀後半の中国製の銅板。
当初は金メッキで輝いていたそうです。
きっと、山田寺の建立者、
蘇我倉山田石川麻呂か、
彼に近しい人物の持仏だったのでしょう。

文化財学講読Ⅱの講義で深澤先生が
「古代の高貴な人の自死の手段は、
縊死といって布で自分の首を絞める。
自分の首なんか絞められない、
そう思っていたけど、
専門家に訊ねるとそれは存外、
可能なんだよね」と仰っていました。
私も知人の医師から
「最も確実な自殺方法は、ハンギング」
と聞いたことがあり、
古代人、特に高貴な人は皆、
知っていたんだと思いました、
確実に自死できる手段を。
つまりそれだけ、
常に死と背中合わせであり、
また、
不様に死に損えない身上にあったのだと。

石川麻呂は、あのあたりで亡くなったんだ、
自分で自分の首を絞めて。
そう山田寺跡を眺めると、
彼の娘の越智郎女や
彼の孫の持統天皇の忸怩たる思いが、
透けて見えてくるようでした。

ある論文に、
斉明天皇が「皇孫(すめみま)」と認めたのは
大田皇女と建皇子のふたりだけとあり、
鸕野讃良皇女のちの持統天皇
それに含まれていないことを知りました。
父と母を同じくするはずの三人が、
何この区別、この気持ち悪さ。
持統天皇が、
みずからの蘇我氏の血を大切にした理由も、
透けて見えるようでした。

持統天皇が実益の統治者であったのは、
斉明天皇とはなんとも対照的だとは、
以前から私は思っていました。
夢など見ている有余もなかったのでしょう、
持統天皇は、幼いころから。
いえ、もともと
そういう気質の人だったのかも知れません。

鸕野讃良皇女のちの持統天皇の目には、
絢爛豪華な山田寺、その金堂の前、
自決した祖父の無念の籠る甃(いしだたみ)、
それだけが見えていたにすぎません。

ただ、そこに感傷ひとつ、
転がっていたわけではないでしょう。

「当時は謀反の疑いをかけられたらもう、
終わりだった。
たとえ、無実でも。
権力のそば近くに在る、
いくばくかの権力を持つ、
それがどれほど危険なことか、
石川麻呂の最期が如実に顕わしている」
深澤先生が仰っていました。

孫はみずからがどちらの道を採るか、
祖父の最期から、
みずからに選択を迫ったのでしょう。

咬まれるか。咬みつくか。

祖父の無念を
感傷など人並みの諦念で済まさない。
それが孫の選んだ道でした。


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亀石のレプリカに乗る息子。
彼の向いているあたり、山田寺跡です。

私は持統天皇が好きか嫌いか、
よくわからない、です。
尋常ではない立場に生まれ育った女帝を、
好悪の感情で分別するのは、
何か間違っている気がするのです。

ただし、敗者へ礼を尽くす持統天皇に、
私は粛然とします。
二上山大津皇子を掲げた、
これは私には
respectにしか思えないのです。
誰が何と言おうとも。

さても、
てのひらの浄土。
敗者の魂を安寧へと、みちびきたまえ。

奈良親子レスパイトハウスへ

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3月30日、東大寺へ向かいました。
大仏殿の西、指図堂の白い馬酔木。
春のはじまり、東大寺の境内は
柳の緑や三分咲きの桜で、
ほのぼのとしています。
指図堂のおびんずる様にご挨拶をして、
さらに西へ。


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奈良親子レスパイトハウスへ。
指図堂の隣がレスパイトハウスなのです。
30日と31日は、奈良地元作家各位による
慈善作品展がここで催され、
私は息子ともどもお招きされました。

窓口のAさんから
「瓊花さん、Rくん、お待ちしていました。
ご入会の手続きと活動のご説明の前に、
富和先生にご紹介しますね」と。

レスパイトハウス代表の富和清隆先生は、
東大寺福祉療育病院長でもあります。
先生はあたたかくやさしい方で、
「深澤先生の生徒さんですね。
お話はうかがっています。
ようこそおいでになられました。
今日はゆっくり楽しんでくださいね」
と私に仰られた後、
息子に笑いかけられました。
「僕、何年生? 4月から3年生?
へえ、おおきいね、おおきいほうだよね。
うん、君は、なんでもできそうだね!」
息子は富和先生に
「はい、なんでもお手伝いします」
と答えました。


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私は絹糸を染めて織り上げた
布のコサージュを買いました。
こういった誰も持っていないような
コサージュがほしかったのと、
収益はレスパイトハウスへ寄付されるので、
より一層、良い買い物をしたと満足。


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古式ゆかしい和建築のレスパイトハウス。
お庭は椿が散って木蓮が花盛り。
蟻の巣をつついたり、
タツムリのからを見つけたり、
古代蓮の鉢のメダカを見せてもらったり、
座敷で抹茶を一服したり、
息子はすっかりレスパイトハウスに
なじんでしまいました。

Aさんに「Rくん、工作、得意かな?
レスパイトに来られるお子さんに、
折り紙とかお絵かきとか、
いっしょにしてあげられるかな?」
と問われた息子は
「得意だよ! なんでもできるよ!」
と嬉しそうに答えました。

さて、私は何ができるかな?
ひとつ課題が増えました。


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帰路に着く際、
Aさんに「レスパイトハウスと
指図堂の間の道をまっすぐ南へ降りて、
小川の橋を渡って、丘を登っていくと、
東大寺整肢園(福祉療育病院)の前、
ほぼ満開のみごとな桜の大木があります。
ぜひ訪ねてみてください」と教わりました。

息子とふたり、
おお、途中で道がないけど、
とにかく進み、
わあ、ほんとうに小川がある!
と探検しながら丘を登りました。
すると。

ああ、あれだ、すごい、すごい、
降るような花、なんてきれい!!
いのちいっぱい、咲いてるね。


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東大寺の境内はとても広大。
指図堂や戒壇堂のあたり、
観光客も手薄。
でも実際は、このあたりが最も美しい。

今日、レスパイトハウスへ向かって
僥倖でした。
たくさんの慈悲に与りました。

いちばんいいものを、
こどもたちへ捧げたい。
レスパイトハウスも、その隣の幼稚園も、
もの静かですが実際はとても
豊かな立地にあります。
東大寺の真髄です。

The Legend of Emerald

昨夜は風呂場で『エメラルドの伝説』を
謳いながら泣きました、おんおん、と。
ショーケン萩原健一さん、大好きでした、
あこがれのひとでした。
華、そのもの、でした。
ショーケン主演、
大杉漣さん、根津甚八さん、
私の好きな俳優さんが揃い踏みの
20年以上前に放映された
ドラマ『テロリストのパラソル』を
youtubeで再見すると、
ほんとうに昭和が平成が
またたくまに遠くにいってしまう、
意識がかすむようでした。

90年代前半、二十歳前の私は、
奈良県立医大今井町風雅地区の近く、
『音楽喫茶山(やま)』に、
京都のボーイフレンドと訪れました。
殺風景な外観、それが中へ入れば、
息をのむ、重厚なジャズホールのカフェ。
コンサートホール並みの音響で、
音楽が店中、充満していました。
壁は、五木寛之の本で埋められていました。
私たちはストレートの紅茶を注文、
誰に示唆されるまでもなく
ふたり小声で言葉を交わしました。

彼の若くして亡くなった叔父さんは
同志社大学学生運動に燃えて、
燃えはてた、そうです。
70年代生まれの私も彼も、
影も形もなかった、全共闘時代。
「瓊花は、あの時代に生きていれば、
まちがいなく俺の叔父と同じ道を、
たどってるね」
彼は私にそんな恐ろしい言葉を
平気で放り投げてくる青年でした。

「あたし、右も左も、わからへん」
私が吐き捨てた言葉を
彼は難なく拾いました。
「でも、沙漠は好きやろ、瓊花」
私は言葉を失くしました。
私は当時、三島由紀夫を乱読していました。
『午後の曳航』がいちばん好きでした。
昭和の叡智であった三島由紀夫ですら、
砂を噛むような全共闘の観念。
ああ沙漠、沙漠。

「奈良は、がつがつしてへんから、
おちつくな」
彼は笑って、京都へ帰っていきました。

当時の私の髪型は
腰まで届くロングのワンレングスで、
アラブに渡った革命の女王に
似ていました。
私は、前髪を切りました。
それからずっと、前髪をつくっています。
五木寛之の小説も
それから少しずつ読みだして、
透明な紅茶を牛乳で濁す残酷さ、
その一文に心臓を射抜かれ、
ミルクティの飲み方も変えました。

牛乳を先に器へそそぎ、
後から紅茶をそそぎ足す。
濁されるのではなく、
濁っていく、みずから。

いまも、『山』はそこにあります。
昭和が、平成が、
そこでは私も彼も、奢りの若さで、
透明な紅茶に舌をひたしています。

さようなら、昭和。
さようなら、平成。
さようなら。


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このおもちゃの指輪、
息子が3歳のとき、
保育園の夏祭りの市場で選びました。
「ママ、エメラルド、好きでしょ」と。
市場を担当していた女子中学生たちが
「自分のもの買わないで、
お母さんにプレゼントするの!
なんてやさしいの!」と驚嘆していました。

息子が赤ちゃんの頃から、
私は息子にザ・テンプターズ
『エメラルドの伝説』を謳い聴かせ、
いつも保育園の帰り道はふたり
ショーケンになりきって、
ちからいっぱい、謳っていたものです。


  遠い日の 君の幻を
  追いかけても むなしい

  会いたい 君に会いたい
  みどりの瞳に くちづけを

私は何がしたい?

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昨日も、平城宮跡公園へ。
息子は大きな自転車に乗り換えたので、
この広大な公園で練習。


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間もなく開園一周年の平城宮跡公園は、
紙漉き、赤膚焼の絵付け、生け花体験、
手作り市や物産展など、
イベントが目白押し。
息子は革細工に挑戦。
穴を開けるのは力技なので、
お父さんに手伝ってもらいました。


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キーホルダーのできあがり。
かっこいいね、
オレンジのベースが効いています。
息子、パーツの色選び、素早い素早い。
お店の方も
「こどもは邪念がないから、
チョイスが早いんですよ。
おとなは良いものを作ろうとして、
欲がでるんで、迷うんですよ」と。
あいたた、耳が痛い(笑)。


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私は手作り市でハンドマッサージを
していただきました。
イベント料金で、お値打ちで、
いつもこういったマーケットでは
耳つぼやアロママッサージを受けています。
500円で幸せな気持ちになれるので。

遣唐使船の前でジャズライブ。
石垣島から来られた歌い手さんは、
bluemoonなどスタンダードナンバーの後、
芭蕉布という民謡を切々と唄いあげました。
ああ、一度は土に還った都の跡地で、
こうして伸びやかな声を耳にできる、
なんて平和なのか、と。

海のない奈良で聴く南の島の唄。
曇り空に晴れ間をうがちました。


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大神神社の子持ち勾玉のお守り。
息子のために買ってあげたのですが、
息子は「ママ、緑色、好きでしょ」と
私に譲ってくれました。

2月のスクーリングと試験の結果。
仏教考古学、84点。
人間論Ⅰ、70点。
人間論Ⅱ、75点。
シルクロード学、78点。
まあ、妥当です。
やっぱりスクーリング後の試験は、
やめといたほうがいい、
あと、複数の試験を短期間に抱えない、
これは身に染みました。

人間論ⅠとⅡは、
レポートで力尽きた、です。
もともと相性は良くなかった科目、ゆえ。
翻って、シルクロード学の試験、
いちばん出てほしくなかった問題で、
これは78点もいただけて、むしろ驚き。
でも、あと2点、惜しかったな。
やっぱりひとつの科目に集中しよう、
そう今後の指針となりました。

しかし。
仏教考古学の84点。
藤澤先生、私のあんなヘンテコな
レポートに4点も加点してくださって、
ほんとうに慈悲深いお方です。
いずれそのヘンテコな内容も
このブログに掲載しようかと思います。
世の中は、ヘンテコなことだらけ、です。

ちなみに
子持ち勾玉はツツコワケさんの
卒論のテーマです。
私は何がしたい?
……卒論に専念したい!
私が奈良大学に入った理由もそれ。
卒論に一歩でも近づくために、
ぎりぎりでも試験に受かればいい、
開き直って、前向きです。

楽日は至心で 文化財学講読Ⅱ③

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お水取りの良弁椿。
糊こぼしとも呼ばれる紅白の椿。
連行衆のおこぼれの和紙の花です。
そういえば、この挿話から、
文化財学講読Ⅱは端緒を切りました。
この時期にこの講義、
「さだめ」の一言だったんだと、
3日目の楽日に気取らされました。

朝早く、2番目に教室へ着いた私は
すみっこの席を取りました。
最初に到着した方から
一緒に教壇の前に座りましょう、
とお誘いを受け、躊躇しましたが、
深澤先生のお話はおもしろいし、
まあいいかとお誘いをお受けしました。

時間があったので、
学友会主催の相談室へ行きました。
演習のポスターの作成の仕方や、
卒論の体裁など、みなさん
たいへん親切に教えてくださいました。

私の卒論のテーマは鎮壇具なのですが、
そのテーマにかなり必要な情報を、
学友会のNさんが教えてくださいました。
もう、びっくらぽん、でした。
ほんとうにテーマがより豊かにより濃く、
また、凛と筋が通り、収斂されました。
私はNさんに何度もお礼を言いました。
Nさんもとても喜んでくださいました。

学生相談会は、
この夏のスクーリングから
卒業生の卒論の閲覧コーナーを
設ける予定だそうです。
「瓊花さんもぜひ再訪してください」
とお声をかけていただきました。
「ええ、もちろん」と応じました。


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最終日の講義内容は、
染色と雲、茜と藍、養蚕と遺跡、
洛陽から卑弥呼へ贈られた蛟龍錦、
蛟(みずち)は小さな龍、機織の埴輪、
古代人は舟に乗ってこの世から旅立つ、
舟入、舟には旗、
舟を挽きつつ歌う、挽歌、
鑑真和上が良弁僧正へ送った手紙、
中国人は薬をまず鼻で誰何する、
すべてのエピソードがリンクしました。

深澤先生は、
できることは、実践する方です。
この茜と藍で染められた絹糸、
これが千年前も今も
ほぼ変わらない色なのです。

私も染色には興味がありまして、
4年前、第一人者の志村ふくみさんの
作品群を確かめに滋賀まで出向きました。
深澤先生もご覧になったそうです。
「銀座のママさんが、志村さんの
コレクションを寄贈なさったんだよ、
すばらしいねえ」、と。
私も同じことを思いました。

志村ふくみさんの作品を愛し、
その身にまといつづけた
ママさんのおもてなしは、
さぞかし
夢のようなものだったろう、と。
その夢を、
みんなのものとしてくださったママさんは
まるで菩薩みたいな御仁だと。


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午後からの講義は、
聖武天皇光明皇后の年譜、
それから始まりました。
そして、
深澤先生が関わっておられる
奈良親子レスパイトハウスの地図を
いただきました。

奈良親子レスパイトハウスとは、
東大寺の境内の宿泊所に、
難病のお子さんとそのお母さんを
お招きして、心と体を安めて、
奈良を楽しんでいただく施設です。

私は、もちろん、
この事業のことは
ずっと以前から知っていました。
このレスパイトハウス制作の地図も、
手に入れていました。

ああ、私みたいな俗物が関わっては
いけないと見てみぬふりをしてきた、
そんな自分へ雷が落ちた気がしました。

地図には、春と夏と秋の、
それぞれの季節感あふれる絵柄で、
3パターンあります。
けれど、冬のバージョンは。

「子どもたちの体力が、
冬では持たないから。
冬の季節の奈良散策は、できない。
だから、冬の地図は、永久欠番

深澤先生の言葉に、
ああだめだ、先生の目の前で、
私の目から涙がこぼれおちました。

そのまま、
東大寺の成り立ち。
正倉院文書の『種々薬帳』の
「夭折」の二文字。

同い年の聖武天皇光明皇后
伏羲と女媧にも似たふたり。
念願の男子誕生。
それから1年も経たず、
その皇子様は亡くなられた。

人の死は、それが幼いほど、
悲しさも増します。
救ってあげられなかった、
親なら、なおさら。

色の緑は
「いとけない」「かよわい」の意味。
みどりご、生まれたばかりの命。
自然界の色素では、
緑だけがどうしても出せない。
生まれたばかりの色だから、
すぐ消えてしまう。
とどめておきたい、いかないで、
志村ふくみさんも仰っていました。

東大寺の起源は羂索堂。
名前もついていない小さな皇子様の
たましいを弔うためのもの。
お水取りも、きっと、そう。
鑑真和上が大和へ。
薬学の第一人者でもある和上。
ヤマトタケル絶唱「命のまたけむ人は」。
子どもたち、生きてほしい、
すこやかであってほしい。
幼くして命が手折られることのない、
そんな世の中を作りたい。
聖武天皇
この国の父である王者の、悲願。
平城京から東、ひつぎのみこ、東宮
東大寺が見えます、いつだって、そばに。

不空羂索観音の双の掌に守られて、
水晶がひとつぶ、1300年、
まどろんでいます。
不空羂索観音は、
聖武天皇の写し身といわれています。
水晶はもちろん、小さな皇子様。

もう、もう、
涙がとまりませんでした。
深澤先生も、泣いておられました。

しめっぽくなったね。
深澤先生は笑って、
午後の休憩の後、
桃と法隆寺のお話を始められました。

桃は実も花も葉も枝も根も樹皮も
すべて薬になる、不老不死の象徴。
桃は、死なない。
雷だって、はねかえす。
落雷で焼亡した法隆寺
柱に籠めた桃の種、再建された法隆寺は、
斑鳩の里にいまもなお。

なんて、なんて、すばらしい。
希望でもってしめくくる、
こんな講義は、一生に一度。
私、死んでも忘れない。


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2歳半の息子と私。
春日大社の参道にて。

講義が終わって、
深澤先生と助手のSさんと
お話をしました。
私の卒論の話は、
Sさんにも糧となったようで、
知識を共有できて
ほんとうにうれしかったです。

深澤先生は、
私の卒論のテーマを具体的に進める
方法を教えてくださいました。
あと、「東大寺のレスパイトハウス、
ぜひ訪ねてみて、瓊花さん」、と。

どうかたくさんのかたがたに
奈良親子レスパイトハウスのことを
伝えたくて、
このブログを書きました。

私も息子とともに
奈良親子レスパイトハウスをめざし、
東大寺を訪れます。

遠足は一心で 文化財学講読Ⅱ②

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スクーリング2日目、狐が跳ねる晴天。
私は晴れ女。
お稲荷さまに守られているそうです。

奈良盆地北辺、平城山から下ツ道を南下。
ここは橿原市の藤原宮跡。
西の青い山並み、畝傍山
二上山と金剛葛城山脈、私の産土。
私には当たり前の風景も、
遠近(おちこち)より訪ねてこられた
皆様には眷恋の地、やまと。
うん、遠足として参加すると、
いつもとちがった風景に見えてきました。

藤原京の京終、初めて意識しました。
橿原市から明日香村と桜井市にまで、
一辺5.3km四方って、
ひえっ、なんぼほどひろいねん。
深澤先生の実地に根差した説明は、
毛穴から細胞へ浸透します。


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深澤先生が毎日通われた
奈良文化財研究所藤原宮跡資料室。
いっつも飛鳥に行くたび、
その存在は目端に入るのですが、
まともに立ち寄ったのは
小学校の遠足以来かな、です。
びっくりした、
すばらしい施設でした。

大伴旅人藤原京最後の元旦、
隼人を率いて行進した場所も、
深澤先生はほぼ掴んでいる、と。
そんなこと、現場で聞くと、
ゾクッとしました。
隼人の楯の音が聞こえてきそうで。

藤原京
専制君主持統天皇の夢の跡。
今は雲雀が鳴く草野原です。


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午後は桜井市大神神社
正式には三輪明神
私は「みわさん」と呼んでいます。
三輪の地元の方は
「明神さん」と呼ぶそうです。

奈良大学出身の先輩、
山田権禰宜さまが
大神神社での我々の講師。
山田先生と深澤先生が談話中の頭上、
三輪山を霞めるかの、すごい雲。

……龍や……。

私、唖然。


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拝殿の前の注連縄。
ここでいきなりFMラジオのイヤフォンが
ラジオの本体ごと石段におっこち、
バチバチッと爆ぜる音を私の鼓膜に
ぶつけました。
私、とびあがりました。
耳に雷が落ちたかと思いました。

今日は一体全体どうしたの!?
私は霊感なんかマイナス40度の
シベリアなのに。

とにかく平身低頭、
注連縄をくぐりました。


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巳の神杉。みいさん(白蛇)のお住まい。
お酒と玉子が供えられています。
ちなみに、私の実家の天井裏にも
みいさんが住まっていました。
白い小さな蛇で、
私が最後に目にしたと思います。

山田先生に
「私の実家近くの
葛城市の長尾神社は龍の尾、
私が生まれた病院近くの
大和高田市龍王宮は龍の胴、
そして桜井市大神神社
龍の頭と言われています。
大和平野の東西に横たわる龍。
まさにドラゴンクエストです。
しかし、蛇を龍と一緒にするのは、
どうなのでしょう?」と私は問いました。
山田先生のお答えは
「この三輪山の神域で、
龍を感じた、目にしたと仰る方は、
いらっしゃいます」でした。
私は、
さっき見た雲を思い出しました。

「山田先生、ありがとうございました。
うちの息子はこちらで初宮を
お祝いしていただきました。
おかげで健康に育っております」
「それはぜひ、次の機会に
息子さんともどもお参りください」
私は山田先生に名前を訊ねられたので
名を名乗り、
それから拝殿にご挨拶をしました。

「あ、息子に子持ち勾玉、買ったげよう」
翡翠の子持ち勾玉を買いました。
石の冷たさは、気持ちをなだめます。
龍に呑まれたような昼下がりでした。


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山田先生は
三輪山の登山をそうそう推奨は
されていませんでした。
私は、三輪の地元の方にも
「物見遊山で登る山やないで」と
言われていましたので、
登るとしたら何か覚悟の上で、
と決めています。


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青緑はイスラームの色。
回は回教徒の意味。
イスラーム教徒に向けた看板です。
豚肉つかってないよ、の意味。

遠足の最後は天理参考館。
深澤先生の仰ったとおり、
膨大な作品群です。
この潤沢な雰囲気、
信楽のミホミュージアムに似ています。
こちらもあちらも、
資金源が宗教団体だからでしょうか。

まあ、イデアはこの際どうでもいい。
一般へ還元する精神、それが尊い


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かわいいなあ、まるで天使です。
迦陵頻伽の瓦です。
もっとかわいい、悪魔のような
迦陵頻伽の瓦も撮影したのですが、
ピンボケ。
掲載不可、です。


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この唐三彩はピンボケではありません。
もとから淡い、あえかな顔立ちです。
私は博物館美術館へ行くと、
「これが欲しい」との目線で作品を見ます。
駆け足で眺めた天理参考館で
最も心ひかれたのは、
このえもいえぬ青緑の衣の女性。
つれてかえりたい。


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学芸員の青木先生の確かな説明。
トルファンから大谷探検隊
持ち帰った伏羲と女媧。
古代中国の創造神です。
これはレプリカですが、
天理参考館、すごい収集力。

深澤先生もごくごく普通に
シルクロード諸国の話をされます。
私はこのあたりは
必死のぱっちで勉強したので、
すらすら呑みこめました。

勉強って、楽しい。
この定規とコンパスを持って睦みあう
兄妹神の絵。
この一幅にどれほどの物語が
籠められているか、
わかるのです。

一心不乱で勉強したシルクロード学。
楽しかった、苦しかったけど。
苦しかったけど、楽しかった。
兄妹神はつがいの蛇のように、
あざなえる禍福の縄のように、
西域への情熱を、焚きつけます。

こんな充実した遠足、
二度とない時間でした。